2012年11月10日
小磯良平の世界
市立小磯記念美術館・開館20周年、生誕110年「小磯良平の世界」展に行きました。

1933年・昭和8年 第一回神戸みなと祭が開催。市からポスターを頼まれた小磯は「洋和服の二人」を第二回みなと祭のために描いた。
手術室に入室を許可されて描いた男性肖像画の秀作「O博士像」1950年。

小磯美術館所蔵の作品だけでなく全国から集めた「絵画」「素描」「版画」「挿絵」全170点なので相当見応えがあり、足にも負担がかかります。

働く人。1959年。
美術館のある六甲アイランドは紅葉が真っ盛り。

P&G本社も紅葉の向こうに聳えていました。

麦刈り。1954年。


絵を描く男。1952年。
窓辺。1937年。神戸山手の異人館のイメージ。

これまでの小磯作品のイメージを覆す作品も多くあり、とても新鮮です。

私の母の従兄弟が松岡寛一と言う画家で、一時小磯良平に師事していたこともありました。また、寛一の妻が白系ロシアのハーフでもあったこともあり、小磯画伯のモデルもしていたと言う。それで、小磯良平には何かしら親しみを持つのです。

代表作「斉唱」1941年。図録から撮ったのでちょっとピンボケですが。

記念美術展は 12月24日まで。
小磯記念美術館 http://www.city.kobe.lg.jp/culture/culture/institution/koisogallery/
1933年・昭和8年 第一回神戸みなと祭が開催。市からポスターを頼まれた小磯は「洋和服の二人」を第二回みなと祭のために描いた。
手術室に入室を許可されて描いた男性肖像画の秀作「O博士像」1950年。
小磯美術館所蔵の作品だけでなく全国から集めた「絵画」「素描」「版画」「挿絵」全170点なので相当見応えがあり、足にも負担がかかります。
働く人。1959年。
美術館のある六甲アイランドは紅葉が真っ盛り。
P&G本社も紅葉の向こうに聳えていました。
麦刈り。1954年。
絵を描く男。1952年。
窓辺。1937年。神戸山手の異人館のイメージ。
これまでの小磯作品のイメージを覆す作品も多くあり、とても新鮮です。
私の母の従兄弟が松岡寛一と言う画家で、一時小磯良平に師事していたこともありました。また、寛一の妻が白系ロシアのハーフでもあったこともあり、小磯画伯のモデルもしていたと言う。それで、小磯良平には何かしら親しみを持つのです。
代表作「斉唱」1941年。図録から撮ったのでちょっとピンボケですが。
記念美術展は 12月24日まで。
小磯記念美術館 http://www.city.kobe.lg.jp/culture/culture/institution/koisogallery/
Posted by 李欧 at 12:58│Comments(0)
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