2012年11月19日
松岡寛一 画集
「創業当時のユーハイム」

「少女」1963年

母の従兄・松岡寛一画伯の画集を手に入れました。生前は観にいけなかったので画集だけでもと探していたら、ヤフーオークションで見つけ落札。
神戸ご在住だったので40年ほど前に一度ご夫妻にお会いした記憶があります。

「モデルたち」1975年
「はるかなる槍ヶ岳」1979年

登山が好きだった画伯はヒマラヤや北アルプスなどにも出かけ仲間と絵を楽しんでいたようです。

「山の花チングルマ」
復員後、山本通りの小磯良平邸の焼け残った土蔵にも住んでいたと言いますから当時は小磯画伯とも親交があり、奥さんの峯夫人は小磯画伯の絵のモデルもしていたそうです。
後には会派に属さず独自で活動していたと書かれています。

「風見鶏の下の散歩」1977年
「画伯と婦人像」「画伯と山」「ヒマラヤの山と人」「神戸と画伯」「画伯のおたより」に分類された100ページA4の画集です。

「画集表紙」

ヒマラヤ・ネパール「白いイヤリングのシェルパーニ」

1981年「ネパールのニヤタポテ広場」

壮年の本人の顔写真
画集には裸婦もかなりの枚数描かれています。

「京劇 南昌興亜大舞台にて」1944年
出征中でも絵を描いていたのでしょうね。報道班員として中国に出征と紹介されています。
1912年に神戸で生まれ1982年に神戸で没する。70歳で亡くなられたとは少し残念な気がします。
作品は六甲アイランドの神戸ゆかりの美術館でも見られるそうです。また、神戸新聞でも県下の山歩きとスケッチを連載していたそうです。ただ、個人所蔵が多く今では展覧会も難しいでしょうね。
やっと出会えた「松岡寛一画集」。
母の仏壇にも供えて観てもらいました。
「少女」1963年
母の従兄・松岡寛一画伯の画集を手に入れました。生前は観にいけなかったので画集だけでもと探していたら、ヤフーオークションで見つけ落札。
神戸ご在住だったので40年ほど前に一度ご夫妻にお会いした記憶があります。
「モデルたち」1975年
「はるかなる槍ヶ岳」1979年
登山が好きだった画伯はヒマラヤや北アルプスなどにも出かけ仲間と絵を楽しんでいたようです。
「山の花チングルマ」
復員後、山本通りの小磯良平邸の焼け残った土蔵にも住んでいたと言いますから当時は小磯画伯とも親交があり、奥さんの峯夫人は小磯画伯の絵のモデルもしていたそうです。
後には会派に属さず独自で活動していたと書かれています。
「風見鶏の下の散歩」1977年
「画伯と婦人像」「画伯と山」「ヒマラヤの山と人」「神戸と画伯」「画伯のおたより」に分類された100ページA4の画集です。
「画集表紙」
ヒマラヤ・ネパール「白いイヤリングのシェルパーニ」
1981年「ネパールのニヤタポテ広場」
壮年の本人の顔写真
画集には裸婦もかなりの枚数描かれています。
「京劇 南昌興亜大舞台にて」1944年
出征中でも絵を描いていたのでしょうね。報道班員として中国に出征と紹介されています。
1912年に神戸で生まれ1982年に神戸で没する。70歳で亡くなられたとは少し残念な気がします。
作品は六甲アイランドの神戸ゆかりの美術館でも見られるそうです。また、神戸新聞でも県下の山歩きとスケッチを連載していたそうです。ただ、個人所蔵が多く今では展覧会も難しいでしょうね。
やっと出会えた「松岡寛一画集」。
母の仏壇にも供えて観てもらいました。
2012年11月10日
小磯良平の世界
市立小磯記念美術館・開館20周年、生誕110年「小磯良平の世界」展に行きました。

1933年・昭和8年 第一回神戸みなと祭が開催。市からポスターを頼まれた小磯は「洋和服の二人」を第二回みなと祭のために描いた。
手術室に入室を許可されて描いた男性肖像画の秀作「O博士像」1950年。

小磯美術館所蔵の作品だけでなく全国から集めた「絵画」「素描」「版画」「挿絵」全170点なので相当見応えがあり、足にも負担がかかります。

働く人。1959年。
美術館のある六甲アイランドは紅葉が真っ盛り。

P&G本社も紅葉の向こうに聳えていました。

麦刈り。1954年。


絵を描く男。1952年。
窓辺。1937年。神戸山手の異人館のイメージ。

これまでの小磯作品のイメージを覆す作品も多くあり、とても新鮮です。

私の母の従兄弟が松岡寛一と言う画家で、一時小磯良平に師事していたこともありました。また、寛一の妻が白系ロシアのハーフでもあったこともあり、小磯画伯のモデルもしていたと言う。それで、小磯良平には何かしら親しみを持つのです。

代表作「斉唱」1941年。図録から撮ったのでちょっとピンボケですが。

記念美術展は 12月24日まで。
小磯記念美術館 http://www.city.kobe.lg.jp/culture/culture/institution/koisogallery/
1933年・昭和8年 第一回神戸みなと祭が開催。市からポスターを頼まれた小磯は「洋和服の二人」を第二回みなと祭のために描いた。
手術室に入室を許可されて描いた男性肖像画の秀作「O博士像」1950年。
小磯美術館所蔵の作品だけでなく全国から集めた「絵画」「素描」「版画」「挿絵」全170点なので相当見応えがあり、足にも負担がかかります。
働く人。1959年。
美術館のある六甲アイランドは紅葉が真っ盛り。
P&G本社も紅葉の向こうに聳えていました。
麦刈り。1954年。
絵を描く男。1952年。
窓辺。1937年。神戸山手の異人館のイメージ。
これまでの小磯作品のイメージを覆す作品も多くあり、とても新鮮です。
私の母の従兄弟が松岡寛一と言う画家で、一時小磯良平に師事していたこともありました。また、寛一の妻が白系ロシアのハーフでもあったこともあり、小磯画伯のモデルもしていたと言う。それで、小磯良平には何かしら親しみを持つのです。
代表作「斉唱」1941年。図録から撮ったのでちょっとピンボケですが。
記念美術展は 12月24日まで。
小磯記念美術館 http://www.city.kobe.lg.jp/culture/culture/institution/koisogallery/