2008年09月16日
萩の寺
豊中・曽根の「東光院・萩の寺」
萩まつり「道了祭」は~9月25日まで。
本堂前の白萩は見事。
仲秋の名月にススキは良く似合う。
元々大阪の中津にあった東光院は由緒ある古刹でした。
正岡子規が立ち寄って詠んだ句が句碑として残され、弟子の虚子なども立ち寄る俳句のお寺としても有名です。
「ほろほろと石にこぼれぬ萩の露」 子規
「於もひ於もひに坐りこそすれ萩の縁」
「我のみの菊日和とはゆめ思はじ」 虚子
明治35年9月19日、34歳で亡くなった子規を慕って弟子たちが供養した子規忌「へちま供養」。
旧暦の8月15日・中秋の名月の晩(今年は9月14日)に採ったへちま水は薬になるとの言い伝えがあり、東京・根岸の子規庵には今もへちまがぶら下がっています。
「をとといのへちまの水もとらざりき」
「痰一斗糸瓜(へちま)の水も間にあはず」
「糸瓜咲て痰のつまりし佛かな」 絶句
死の前日詠んだ3句が子規の絶筆でした。
萩の寺でも大勢の俳句ファンが集まってちょうど「へちま供養」句会が催されていました。
萩の庭には俳句の短冊もぶら下がっています。
行基ゆかりの萩の寺の歴史を見れば・・・・。
「日本人の美と心を象徴する「萩」は、秋の七草の筆頭として知られるが、行基ゆかりの草花でもある。その名前の由来は「生え木」に由来し、古来から生命力の強さや復活を象徴する。すなわち再生を意味する」と記されている。
東光院・萩の寺は、チベットの仏画や曼荼羅なども展示され、淀君ゆかりの「萩の小筆」なども売られていました。
また、中国の孫文も日本亡命中に一時かくまわれたと言うから、中津にあった頃はかなり大きなお寺だったのでしょう。
切花に適さない地味な花ではあるけれど、いかにも「仏」に相応しい萩。
そこはかとない人生の襞が見え隠れする萩。
猪・鹿・蝶の花札ではお馴染みだったけど、これだけいっぱい咲いてる萩を見ていると、ふと我が行く末など考えてしまいました。
東光院・萩の寺 阪急・宝塚線「曽根」下車 東北へ直ぐ。
06-6852-3002
Posted by 李欧 at 11:55│Comments(0)
│四季の花
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